【岐阜県】水饅頭の発祥の地と誕生秘話

 日本発祥のもの

水饅頭

発祥の地

岐阜県大垣市

発祥期

明治30年頃

考案者

上田文七

水饅頭の起源

「水饅頭(水まんじゅう)」は、岐阜県の大垣市が発祥の地です。大垣(おおがき)は、全国でも有数の自噴帯(地下水が自然に地下から地表に湧出する一帯)に位置し、豊富な地下水の恵みにより「水の都」と呼ばれています。

大垣は、江戸時代末期から井戸を掘る技術が発展し、各家でも「井戸舟※」を作り、野菜や果物などを冷やす文化が誕生していました。さらに、庶民が水菓子を楽しむ風習も存在。明治30年頃、和菓子屋の「上田文七」が葛饅頭を原型に名水を生かした和菓子を考案し、水に浸けても流れないよう改良したことが水饅頭の起源とされています。

※地下水を受ける水槽で三槽等になっているもの

水饅頭を生み出す当初は、秋の七草の一つである葛の根っこから採れる「葛粉(くずこ)」のみを使っていましたが、葛粉は水に溶けやすい上に、水で冷やすとかたくなってしまいます。そこで、水に強いわらび粉をまぜて誕生したのが水饅頭です。以後120年以上にわたって大垣市民の夏のおやつとして親しまれてきました。

以前は各家で井戸舟を持ち、地下水を活用して生活していました。現在ではその面影も薄れつつありますが、街中には今でも井戸があり、きれいな湧き水を汲み上げることができます。大垣の水饅頭は、地下水が流れる井戸舟の中に入れて冷やされることを前提に開発された「夏に冷やして食べられるお菓子」です。

また、水饅頭のこし餡作りに使われるのも、14~15℃の冷たい大垣の地下水。「大垣の水饅頭」は、こし餡作りにも、井戸舟での販売にも地下水が必須でした。

春が終わりに近づくと、和菓子屋の店頭には地下水を張った井戸舟が並びます。その中で、お猪口に入った透明な葛生地であんこを包んだ生菓子・水饅頭が販売されてきました。涼しげな見た目の水饅頭や情景が岐阜県大垣市では夏の風物詩となっています。

お猪口入り水饅頭を考案した老舗和菓子店「金蝶園総本家」の話では、葛やわらび粉はでんぷん質が含まれるため、水に入れて冷やしてしまうと固くなってしまい、温かい状態では生地がやわらかすぎて形成できません。そこで登場したのがお猪口で、流し込むことでどちらも解決できたそうです。見た目のかわいさだけではなく、お猪口サイズがさらに水饅頭の涼やかさを引き立てています。

大垣市の水饅頭販売期間は各店舗によって異なりますが、4月から9月頃までです。老舗の販売店としては1755年(宝暦5年)創業の御菓子つちや 、1798年(寛政10年)創業の金蝶園総本家、1862年(文久2年)創業の餅惣などが知られています。

大垣では、多くの和菓子屋で夏季限定の美味しい水饅頭が食べられます。葛粉とわらび粉の割合や大きさ、味わいは店によって異なりますが、「水饅頭(水まんじゅう)」という名称をひとつの店が独占して使うことはありません。

ところが1995年(平成7年)、大手製パン業者が「水まんじゅう」の商標を特許庁に出願。商標が認められると、大垣市は「水饅頭(水まんじゅう)」と呼称できなくなります。観光資源が損なわれると判断した大垣地元業者らは、「発祥の地」である証明書を集めて異議申し立てを行い、その結果申し立てが認められ出願は取り下げられました。

明治時代、冷蔵庫がなかった時代に誕生した水饅頭は、夏でも冷たい地下水を利用して食べられていました。あっさりとした餡の甘さとつるりとした食感が特長で、店頭の井戸舟の中、水饅頭が冷やされる情景は夏の大垣の日常の光景でした。

水饅頭の発祥の地マップ

金蝶園総本家

餅惣

御菓子つちや 俵町本店

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