【愛知県】暴走族の発祥の地と誕生秘話

日本発祥のもの

暴走族

発祥の地

愛知県名古屋市

発祥期

1969年

考案者

カミナリ族

暴走族の起源

「暴走族」の起源は、50~60年代に誕生した「カミナリ族」です。暴走族が誕生したとされるのは1970年代ごろで、それまではカミナリ族と呼ばれる集団でした。カミナリ族に人気のあったバイクの一つに『HONDA CB72』があり、今の価値にあてはめると75万円です。メンバーの多くは当時高価だったバイクを購入できる裕福層の若者でした。

若者たちは愛車のスピードアップのため、バイクのマフラー(消音装置)を取り外し、エンジンのパワーを全開に「バリバリ」と爆音をたてながら車の間を縫うようにジグザグ走行する様が、あたかも雷のごとく見えることから「かみなり族」と呼ばれていました。

カミナリ族は、戦後の「モータリゼーション※」の発達が生んだ集団で、主に速さや爆音を満喫したり性能を自慢する「ルーレット族※」に近い形です。それでも、バイクで危険走行を行う若者たちが散発的に事故を起こしたり、問題を起こしていたようですが、さほど大きな社会問題となっていませんでした。

※モータリゼーション:自動車産業の発展に伴い、クルマを利用することが社会的に一般化した状態。

※ルーレット族:高性能に改造した乗用車で、首都高速道路の環状線をサーキットに見立て、猛スピードで周回するドライバーたち。

1960年代半ば、カミナリ族の中から「サーキット遊び」と呼ばれる、ただ走り回るのではなく決まった街頭で、危険走行を夜通し行うようなグループが登場。集団でいかに目立つかが主体となり、チーム間の抗争、市民への迷惑行為がエスカレートし、次第に世間からはカミナリ族ではなく暴走族と呼ばれるようになります。

カミナリ族が暴走族と呼ばれるようになった大きなきっかけは、1969年5月に名古屋市テレビ塔付近の街頭サーキット騒ぎです。それまでは、バイクやクルマを用いて騒音をまき散らし危険走行を行う集団が、一般の車をひっくり返すなどの破壊活動など、群衆約2000人をまきこみ大暴れ・暴徒化しました。

さらに、1972年に富山県富山市中心部で、暴走族がサーキット騒ぎを繰り広げ、見物客をまきこみ3000人が暴徒化。近辺の商店や通りがかりの一般車を襲って破壊するという騒動は、大ニュースとなり、マスコミはこぞって「暴走族」と呼称。警察当局もこの名称を公文書に用いました。

暴走族の多くが悪質化し、1974年には確認されているだけで86件の抗争事件が発生しています。暴走族は日本中にグループが勃興し、1980年代から構成員数は増加し続け、1982年のピーク時には、712グループで構成員数が4万2510人を数え、全国で年間4000回以上の集団暴走行為がおこなわれていました。

1960年代(昭和35年)半ばから2010年(平成22年)までの暴走族の特徴としては、大集団で暴走や無免許運転者、暴走族同士の対立抗争を初めとする悪質な事件が挙げられます。また、ノーヘルや特攻服ファッション、違法改造バイク(ロケットカウル、三段シート、エビテール)などの見た目も特徴的でした。

しかし、1978年に道路交通法第68条、集団暴走を罰する新規定「共同危険行為」が設定。警察が撲滅に乗り出し取り締まり強化や、地域ぐるみ(学校や家庭など)の協力・対策(暴走族への加入阻止や暴走族からの離脱・立ち直り支援)、不正改造業者の摘発などにより、1982年のピークを境に減少傾向に移っていきました。

さらに、少子化により暴走族云々ではなく、若者そのものが激減。構成員数が2003年に2万人を切り、2008年には1万人と毎年減少を続けました。2016年時点で5265人となり、活動がピークだった時代(構成員数4万越え)に比べると8分の1ほどです。グループ数も激減し、暴走族チームどうしの抗争も少なくなりました。

近年(2023年)、暴走行為に対する110番通報や苦情が急増。年末年始の走り納めや走り初め、初日の出の暴走など、活動内容も限りなく暴走族に近いスタイルで検挙されているグループもあれば、単にちょっと音が大きい旧車バイクが好きな中高年層のグループの場合もあります。

また、構成員数も2020年(令和2年)の4505人から翌年には、4679人とやや増加しています。

暴走族の発祥の地マップ

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