【宮崎県】流しそうめんの発祥の地と誕生秘話

日本発祥のもの

流しそうめん

発祥の地

宮崎県高千穂町・高千穂峡

発祥期

1955年(昭和30年)

考案者

高千穂峡「千穂の家」

流しそうめんの起源

「流しそうめん」の始まりは、宮崎県高千穂町の高千穂峡からです。高千穂駐在の各新聞社の記者が暑い夏の野良仕事の食事の際、野外で湯がいたそうめんを竹の器に入れた高千穂峡の冷水にさらして、涼しげに食べていた光景がヒントになり、1955年(昭和30年)宮崎県西臼杵郡高千穂町の高千穂峡にある「千穂の家」が店頭で流しそうめんを始めたのが起源と言われています。

流しそうめんは昭和30年が起源と意外に新しい食べ方ですが、江戸時代に薩摩藩の支配下にあった琉球では、夏の接待の席で清流の上流からそうめんを流し、すくって食べるという風流な食べ方を用いた歴史が残っています。暑い夏に自然の中で涼を感じながら、そうめんを食べるという楽しみ方は先人の知恵でもあったようです。

夏のそうめんは冷やして、つるっとしたのどごしで食べるのが醍醐味です。竹の樋を冷たい水とともに流れてくるそうめんを箸ですくいながら食べるという、夏らしい風流な食べ方・流しそうめんのスタイルが評判になり全国に広まりました。

子どもから大人までが楽しめる流しそうめんは、使用する樋(とい)は竹が基本ですが、自宅で流しそうめんを楽しみたい時に竹を用意するのは簡単ではありません。そんな時に空になった牛乳パックやペットボトルを希望の長さまでつなげて、そうめんの通路にすることができます。様々な種類の薬味を準備して、ご家庭で流しそうめんを楽しんではいかがでしょうか。

「流しそうめん」とよく似たものに「そうめん流し」があります。違いの一つに、形式(食べ方)があります。半分に割った竹を何本も長くつなげた樋を使って、自然水流で食べるのが流しそうめんです。全国的にポピュラーな形式で、イベントなどの流しそうめんは100%こちらの形式で行われます。ちなみに、テレビ番組の企画として流しそうめんの竹樋を自作したり、水路の長さを競うギネス記録も存在。

テーブルの周りを流れる人工的水流で食べるのが「そうめん流し」。そうめん流しの発祥は鹿児島県指宿(いぶすき)市にある唐船峡(とうせんきょう)で、唐船峡の湧き出る名水(1日10万トン)を観光に活かそうと1962年(昭和37年)に流しそうめんを始めました。

当時の町の助役(のちに町長)が回転式のそうめん流し器を発明して、1970年(昭和45年)には回転式そうめん流し器の意匠登録をします。流しそうめんの形式ではなく、唐船峡は全国第1号のそうめん流し発祥の地となりました。美味しくて、みんなで楽しめる回転式そうめん流しは、鹿児島ではとてもポピュラーな食べ物です。

「流しそうめん」と「そうめん流し」の違いのふたつめは、地域によって同じもの(全国的には竹に流す形式が一般的)なのに呼び方が違います。個人差もあるので一概には分類できませんが、関西より東が流しそうめん、関西より西(愛媛/鹿児島/福岡/岡山/広島/熊本)がそうめん流しとなる傾向のようです。また、関西より西の地方では流すそうめんと回転するそうめんの形式両方を総称してそうめん流しと呼ぶ場合もあります。

流しそうめんの発祥の地マップ

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