【東京都】お子様ランチの発祥の地と誕生秘話

日本発祥のもの

お子様ランチ

発祥の地

東京都(日本橋三越)
東京都(松坂屋上野店)

発祥期

1930年(昭和5年)
1931年(昭和6年)

考案者

安藤太郎

お子様ランチの起源

「お子様ランチ」が誕生したのは日本の老舗百貨店の食堂です。お子様ランチには2つのルーツがあり、「お子様ランチ発祥の店」は2つあります。1930年(昭和5年)12月1日に東京の日本橋三越百貨店の食堂でお子様ランチが提供されたのが最初。名称は「御子様洋食」というネーミングでした。

1930年は、前年に「世界大恐慌(アメリカを皮切りに世界的に起こった深刻な経済恐慌)」が起こった時代です。日本国内でも、多くの会社が倒産し、失業者が溢れる当時の時代背景。三越百貨店内・食堂の主任コックだった安藤太郎氏は、「子どもたちには、夢のあるメニューを提供したい」という思いから考案したのが御子様洋食でした。

御子様定食の値段は当時の30銭、現在の円(1円=636円)に換算すると約190円です。ちなみに、当時の1円の価値は今に比べると高低があり、学校の先生の給料などは1円が3,000円~4,000円の価値がありました。比べて「円タク」と呼ばれたタクシーは東京中どこまで行っても1円(636円)で今のタクシー代に比べるとかなり安いです。

現代、お子様ランチのイメージは「子供が喜んで食べやすいもの」「子供にちょうどいい量」ですが、当時のお子様ランチは、海老フライやハンバーグ、ケチャップライス、そしてスパゲッティなど人気のメニューを少しずつ盛りつけた、まるでワンダーランドのような一皿です。発案者(安藤太郎氏)の熱意と愛情に満ちたメニューでした。

お子様ランチに旗が立っているのも、登山好きだった安藤太郎氏の考案。登山家が山を征服した時に立てている「登山旗」にヒントを得て、富士山に見立てたケチャップライスに日の丸の旗を立てたのが最初のはじまりです。

この元祖 お子様ランチ(御子様洋食)を提供していた、日本橋三越本店のカフェ&レストラン『ランドマーク』は、残念ですが2020年1月で閉店しています。

お子様ランチという名前が登場したのは、三越百貨店の御子様洋食誕生から3か月後1931年(昭和6年)のことです。松坂屋上野店の大食堂でお子様ランチという今に至る名称が考案されました。これが2つ目のルーツです。

1931年春、お花見や上野動物園に訪れる、子連れのお客で賑わう松坂屋の大食堂では、

「せっかくお子さんがたくさん来てくれるんだから、お子さんが喜んでくれるような料理を作ったらどうだろう」と、当時まだ珍しかったワンプレートの洋食メニューを考案。名付けられた名前がお子様ランチ、次第にこの名称が全国的に定着していきました。

値段は三越と同じ30銭で、当時は白ごはんにコロッケとオムレツがメインのシンプルなものでした。1932年には、お子様向けに改良されたお子様ランチが登場します。ケチャップライスにハンバーグ、オムレツ、さらに日の丸の旗を加えたこのスタイルが好評を博しました。

1960年代には、子どもに人気の特撮テレビのヒーロー「ウルトラマン」が登場。お子様ランチにウルトラマンやウルトラ怪獣の小さなおもちゃをおまけに付けたところ、爆発的な人気を得ました。休日には1,300食もの注文がもあったそうです。

お子様ランチは料理の内容だけでなく、子どもたちを喜ばせる様々な工夫がなされていきます。新幹線や飛行機など乗り物の形をした器、パンダが上野に来た当初は、パンダの形をした器もお目見えしました。ケチャップライスの上の部分だけを白いご飯に替えて「富士山」に見立て、旗を立てたスタイルは現在でも続いています。

赤い機関車のお子様ランチ、煙突部分からドライアイスによって白い煙が出る演出は、世代を越えて楽しめました。当時は上野松坂屋の別館のファミリー食堂で販売していたお子様ランチですが、現在(2023年)は本館の7階にある『お好みダイニング カトレヤ』で提供。こちらのお子様ランチは年齢制限なし、子どもから大人までが注文できます。
2010年、松坂屋は100周年を記念し、1932年当時のお子様ランチを復刻メニューとして提供。2018年に開業250周年記念として大人向けのお子様ランチを数量限定で発売しました。

お子様ランチの発祥の地マップ

日本橋三越

お好みダイニングカトレヤ 松坂屋上野店

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