日本発祥のもの
つけ麺
発祥の地
東京都中野区
発祥期
1955年(昭和30年)
考案者
山岸一雄
つけ麺の起源
つけめんは昭和30年に残ってしまった麺とスープを賄いとして出されたことから始まりました。
山岸一雄さんは修業時代、残ってしまった麺をスープと醤油を湯のみ茶碗に入れ、賄いとして食べていました。
その後、同じ店で働いていた「兄貴」と慕っていた先輩(坂口政安)がお店(大勝軒中野店)をオープンさせ、このお店に山岸一雄さんも手伝うことに。
さらにその後、別の場所に本店(代々木上原店)を構えたことにより、山岸一雄さんは中野店の店長になります。
このお店でも山岸一雄さんは余ったスープと麺で賄い飯を作って食べており、ある時それを見ていた客が関心をよせ、試食してもらうと高評価を得たことから「これをメニューにしたら売れるかもしれない」と感じ、様々な試行錯誤の末、冷やし中華の甘酸っぱさを参考に酢と砂糖で調味し、麺の量をラーメンの3割増しにして、「もりそば」として完成させました。
そして、1955年に「特製もりそば」(当時は40円)として商品化しました。
また、その3年後に坂口政安さんの本店からもつけ麺と同様の「つけそば」が独自研究開発されて商品化しました。
1961年、山岸一雄さんが東京都豊島区東池袋に「大勝軒」として独立創業しました。
その店でも「もりそば」の味を受け継いでおり、人気を博しました。
なお、つけ麺の名称が最初に使用されたのは1973年頃で「元祖つけ麺大王」によるものだとされています。
平成に入り山岸一雄さんは弟子をとるようになりました。
1990年代中頃から同店で修業後に独立したラーメン店主が類似のつけ麺を提供したことで2000年頃から関東圏、特に東京都内につけ麺を提供する店が増えていきました。
その後、「極太麺」「魚粉」「濃厚つけだれ」など個性的なつけ麺が増えていき、これがきっかけとなりつけ麺ブームが始まり様々な味や呼び方に変わっていき全国的に広まっていきました。
つけ麺には、その味を最大に引き出せる食べ方が存在するそうです。
1.最初は麺のみで食べる(麺にもしっかりと味付けされているため一度そのまま食べることがおすすめです)
2.スープにつける時は素早く麺をくぐらせる(麺をスープに浸しておくとスープがすぐに冷めてしまいおいしさが半減してしまうためです)
3.スープ割りで美味しく(つけ麺を食べ終わったらスープ割りをして味の変化を楽しむためです)
上記の食べ方ではなく、もちろん自分の好みに合わせて食べるのが一番いいのですが、おすすめの食べ方を紹介しました。
今では家庭でも自分でつけだれを創作して食べることもあるくらい全国的に広まっており、国民に愛される食べ物になっています。