【滋賀県】おみくじの発祥の地と誕生秘話

日本発祥のもの

おみくじ

発祥の地

滋賀県大津市 「元三大師堂」

発祥期

919年から985年の間

考案者

元三大師

おみくじの起源

おみくじは観音菩薩より元三大師が授かった百枚の偈文が進むべき道を訓えたのが原型とされています。

発祥の地、比叡山延暦寺は山全体が天台宗の修業の場所であり、その広大な寺域を3つの地域に分け、東を「東塔」、西を「西塔」、北を「横川」と言います。
その一つの「横川」におみくじの発祥の地、「元三大師堂」があります。
比叡山で最も北に位置するエリアでかつて元三大師様の住処があった場所です。

この元三大師様が観音菩薩様に授かった、五言四句の偈文百枚がおみくじの原型だと言われています。(偈文とは、観音菩薩様の言葉です)
元三大師様は百枚の偈文の中から引いた一枚に進むべき道を読み取り、数多くの人を迷いから救ってきたと言われています。
元三大師様がおみくじの元祖と言われるようになるのは江戸時代のはじめに徳川家三代にわたり仕えた慈眼大師天海様が、元三代師様の夢のお告げにより、信州にある戸隠神社で偈文百枚を発見したことで「元三大師百籤」と呼ばれ、番号と五言四句の偈文により的確な指針を得られたことで広まっていきました。
次第に他の神社やお寺でも使われるようになり、全国へ広まっていきました。

おみくじも籤の一種ですが、神仏の霊威を意識したものを「みくじ」「おくじ」と呼び、それ以外の日常的なものを「くじ」と呼ぶようになりました。
現在のように個人の吉凶を占うために引くくじは鎌倉時代初期から行われるようになりました。
今でも神の意志を占うために各地の神社で神籤が使われているところもあります。

そして、引いた後のおみくじを境内の木の枝などに結ぶ風習は、「結ぶ」が恋愛の「縁を結ぶ」に通じることから江戸時代から行われてきました。
他の意味として、「神様と縁を結ぶ」や「願い事をしっかり結ぶ」という意味もあります。

この「おみくじ」ですが、7割近くは女子道社で奉製されています。
この女子道社は明治時代に作られました。
当時の二所山田神社の宮司の宮本重胤さんが、女性の自立を訴えるために「敬神婦人会」という組織を設立し、この組織の機関紙が「女子道」であり、その機関紙を発行する費用のために「おみくじ」を製造販売することにしました。
日本のみならず、ハワイなどの国外への輸出も行っています。

現代では日常生活やこれからの運を占うおみくじへと変わっています。
日々の運勢を占う人もいれば、昔の「おみくじ」のように神のお告げに頼る人も多く、私たちの生活にかかせないものとなっています。

おみくじの発祥の地マップ

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