【大分県】使い捨てカイロの発祥の地と誕生秘話

日本発祥のもの

使い捨てカイロ

発祥の地

大分県大分市

発祥期

1975年(昭和50年)

考案者

旭化成社員(山下巌、児玉多朗)

使い捨てカイロの起源

使い捨てカイロは、1975年(昭和50年)に登場した旭化成大分工場で作られた「アッタカサン」が始まりです。
アメリカ軍で使われていた「フットウォーマー」を旭化成工業(現在は旭化成(株))の社員が1972年(昭和47年)に持ち帰ります。
この「フットウォーマー」は、粉が入っている布製の袋に水を加えると発熱が始まるものでした。
30分程度激しく発熱し、水分が蒸発してしまうと反応は止まります。
その温かさは翌日まで続きました。旭化成社員によって「フットウォーマー」の分析が始まります。
そして、鉄粉が酸化するときに発熱する作用を利用しており、鉄粉と助材として過硫酸カリウム・バーミキュライトであること、また過硫酸カリウムではなく食塩や硫酸カリウムを用いることで緩やかな発熱反応になることが分かったのです。

「アッタカサン」は定価300円で、不織布の内袋の中央をヘアピン状のピンで分け左右それぞれに鉄粉と助材を入れてあります。
使うときにピンを外して鉄粉と助材を混ぜ合わせて発熱させるのです。
発売された時のキャッチフレーズは『ワンタッチで1日ポカポカ「アッタカサン」』。鍼灸師や医師を対象に販売を始めました。
「アッタカサン」発売後、日本純水素(現在のエア・ウォーター・メカトロニクス(株))での出来事です。
日本純水素に腰痛持ちの役員がおり、役員会の雑談の中で、「アッタカサン」で腰を温めると楽になると話します。

その後、平塚工場の副工場長を務めていた田浦照親のもとに「アッタカサン」が持ち込まれ、田浦を中心に日本純水素で同様の製品開発が始まりました。
日本純水素は販売協力をロッテ電子工業(現在は株式会社ロッテに統合)に求めます。
その販売戦略の中で、一般の消費者でも求めやすい100円という価格と扱いやすさが追及されました。
完成した使い捨てカイロは、鉄粉の入った布袋をプラスチックで密閉して空気を遮断しておき、使用する時にプラスチックの袋から布袋を出して空気と触れさせ振ったり揉んだりすると温かくなるというものでした。

そして1978年(昭和53年)に「ホカロン」として発売されます。
安価な100円で、取り扱いも簡単、使い捨ての「ホカロン」は100円カイロとも呼ばれ大ヒットとなりました。薬局・薬店でも気軽に買うことができたこともヒットに繋がったと考えられています。

カイロといえば、それまではベンジンを使った白金触媒式カイロでした。
電池式のものも作られ安全性も高められ現在でも使われていますが、可燃性のベンジンを使うことで当初は火事などの事故もあったようです。
使い捨てカイロはそれまでのカイロのイメージを覆す手軽さだったのです。
使い捨てカイロはその後、揉まなくても袋から出すだけで温かくなるよう改良されます。さらに様々なメーカーから工夫を凝らした使い捨てカイロが製品化されており、現在ではミニサイズや貼るタイプ、背中用や足先用、長時間タイプなど、用途や使用場面に応じて使い分けられています。

使い捨てカイロの発祥の地マップ

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