【沖縄県】タコライスの発祥の地と誕生秘話

日本発祥のもの

タコライス

発祥の地

沖縄県金武町

発祥期

1984年(昭和59年)

考案者

儀保松三

タコライスの起源

タコライスは1984年に金武町にあるバーの店主が米兵のために考案した食べ物です。

沖縄本島の中北部、米軍基地キャンプ・ハンセンがある金武町で「タコライス」は誕生しました。
考案者はキャンプ・ハンセンのゲート前に広がる飲食店街にあった「パーラー千里、キングタコス」の創業者・儀保松三さんです。
もともとバーを経営していた儀保松三さんは、変動相場制の導入によって円高ドル安となり、お金の余裕がなくなった若い米兵たちは基地外の店で食事をとらなくなりました。
そのため、安くてボリュームのある食べ物を出す店に業態転換することを決め、1984年に開店しました。

そもそも「タコス」はメキシコを代表する料理で、トルティーヤの中に具を挟んだ食べ物です。
主な具はサイコロステーキや豚肉を細く裂いて焼いたもの、玉ねぎやトマトなど店によってさまざまな具が入っている食べ物です。
このタコスが米兵によって沖縄に持ち込まれ、基地周辺でオリジナルの形態で提供されていたそうです。

そしてバー時代に人気だったタコスをアレンジして、具材をそのまま御飯の上にのせた「タコライス」が誕生しました。
そのおいしさと値段の良さが米兵たちにウケて、米国人のコミュニティで評判を呼び、やがて沖縄の人たちや観光客からも注目されるようになりました。
パーラー千里のタコライスは、挽肉・レタス・トマト等をのせてチリソースをかけて食べるのが主流だったそうです。

すると人気にあやかってタコライスを提供する店が増えたが、儀保松三さんは「カレーライスみたいなものだから」と、あえて商標登録を行わず個性豊かなタコライスが全国的に増えていきました。

そして発祥の店「パーラー千里」は2015年6月29日に閉店し、同じ年に儀保松三さんも亡くなりました。
現在は儀保松三さんの孫である島袋小百合さんが2代目として「キングタコス」の経営を引き継いでおり、店頭には「元祖!タコライス発祥の店」の看板が掲げられており、沖縄県民からは「キンタコ」という愛称で親しまれ、県内に7店舗出店するほど愛されています。

「キンタコ」のタコライスは、創業当初、野菜が苦手な米兵に配慮していた名残で、御飯に挽肉だけをのせたシンプルなものだったそうです。
その後大量のチェダーチーズとレタスとトマトをトッピングするものが看板メニューとなりました。

現在では沖縄の名物になった「タコライス」ですが、2010年にタコライス発祥の地として世界に発信しようと取り組み、巨大タコライス(総重量746kg)作りを行い、見事に世界一大きなタコライスとしてギネスに認定されました。
金武町にはタコライスの老舗が多く、町全体でタコライスに力をいれて世界に発信しています。

現在では国外にもタコライスが広まり各国で愛されているようです。
国内でも家庭で出されるメニューとなり子供から大人まで全ての人に愛される食べ物となりました。

タコライスの発祥の地マップ

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