【宮城県・東京都】冷やし中華の発祥の地と誕生秘話

日本発祥のもの

冷やし中華

発祥の地

宮城県仙台市青葉区錦町『龍亭』 
または、東京都千代田区神田神保町 

発祥期

1937年(昭和12年)

考案者

『龍亭』四倉義雄
『揚子江菜館』周子儀(大谷子儀)

冷やし中華の起源

冷やし中華の起源については諸説ありますが、『龍亭』四倉義雄によるとするものと、『揚子江菜館』2代目の周子儀によるものとが最も有力とされています。
『龍亭』説では、創業者の四倉義雄が1937年(昭和12年)に夏向けのメニューとして開発したのがはじまりといわれています。
現在のようにクーラーのない当時、油っこく熱い中華料理はどうしても夏に売り上げが落ちてしまいます。
夏の売上減を打開するために、暑い夏でも食べられる冷たいメニューの開発をしようと仙台支那料理同業組合の集まりで話し合われます。
当時組合長でもあった四倉が中心となり、ざるそばをイメージして新メニューの開発がはじまったそうです。完成したメニューは「夏の風物詩・涼拌麺」と名づけられました。
拌麺は具や汁を和えた麺という意味です。
中華そばが10銭のところ涼拌麺は25銭と割高でしたが、ハイカラだと行列ができるほどだったといわれています。
その後、市内の他の中華料理店でも独自の涼拌麺を工夫して作るようになり、定着していきました。
『龍亭』では第二次世界大戦中は配給制度などによりメニューにない時期もありましたが、戦後も改良が重ねられ、酸味と甘みが感じられるこだわりのたれで現在でも人気のメニューとなっています。
『揚子江菜館』説では、2代目の周子儀が1933年(昭和8年)にやはり夏でも食べやすいものをと開発したのがはじまりといわれています。

周は近くの「まつや 」の蕎麦が好きでよく食べに行っていました。
夏には多くの人が涼しげにざるそばを食べているのを見て、中華料理は熱いものが多いので中華そばでざるそばのように涼しげな料理を作ろうと思い付きます。
2年をかけて試作を繰り返し甘めのつゆも完成しましたが、盛り付けに苦労したようです。
ある日、店から富士山がみえたことから富士山のように盛り付けることを思い付き、「雲を頂く富士山の四季」をイメージし、中国の十全十美の考えに基づいて10種類の具材を山高に盛り付けることにしました。「五目涼拌麺」として売り出すと、すぐに評判となり看板メニューとなったのです。

戦後になると全国各地の中華料理店で冷やし中華を提供するようになります。
1960年(昭和35年)に株式会社だい久製麺(宮城県仙台市)から「元祖だい久 冷し中華」が家庭用冷やし中華として発売されたのを皮切りに、東洋水産株式会社や明星食品株式会社など多くのメーカーから発売され、家庭でも楽しめるようになりました。
現在では醤油と酢のたれだけではなく、中華風やごまだれなども人気となっています。冷やし中華は、全国各地でそれぞれ呼び方が違っており、関西では冷麺、北海道では冷やしラーメンなど呼ばれたりもします。

冷やし中華の発祥の地マップ

宮城県仙台市青葉区錦町

東京都千代田区神田神保町

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