【岡山県】視覚障害者誘導用ブロック(点字ブロック)の発祥の地と誕生秘話

日本発祥のもの

視覚障害者誘導用ブロック(点字ブロック)

発祥の地

岡山県岡山市中区

発祥期

1967年(昭和42年)

考案者

三宅精一

視覚障害者誘導用ブロック(点字ブロック)の起源

視覚障害者誘導用ブロックは、1967年(昭和42年)に岡山県立岡山盲学校の近くの交差点に、三宅精一により設置されたのがはじまりです。

精一は青果店、旅館などを経営する実業家であり、発明家でもありました。
ある日、白状をもった視覚障害者が道を渡ろうとした時、車と接触しそうになる危険な様子を目にします。
ちょうどその頃、精一は飼っていたセントバーナードが縁となり、視覚障害者支援の団体である日本ライトハウス理事長、岩橋英行と親しくなります。岩橋英行自身も弱視であり、のちに失明しています。熱心に視覚障害者の支援事業に取り組む岩橋英行との交流もあり、精一は視覚障害への理解を深め、視覚に障害があっても安全に歩けるようにするにはどうすればいいか考えるようになります。
1965年(昭和40年)、危険な場所を知らせる突起付きのコンクリートブロックを設置し、視覚障害者自身が足裏の感覚で気付けるようにすることを思いつきます。
そして、私財を投じブロックの開発を始め、福祉事業で社会に貢献しようと自宅に「安全交通試験研究センター」を設置しました。

精一のアイデアを実際の形にしていったのは、精一の弟である三郎でした。三郎は建築会社勤務の経験を活かし、突起の形状や配列を決め、図面作成し、試作しては意見を聞き、改良を重ねていったのです。
精一たちはこのブロックを「点字ブロック」と名付けました。
そして、1967年(昭和42年)に230枚の点字ブロックが初めて設置されたのです。
この年、世界盲人福祉協議会(WCWB)実行委員会に岩崎英行が出席しており、精一たちの点字ブロックを紹介し、点字ブロックは世界各国から高い評価を得ています。
精一は、自信を深め、視覚障害者も安全に歩いて移動することができ、自立した生活を送ることができるよう、点字ブロックを全国に普及させたいと考えました。
実績作りとして全国各地に寄贈を続け、理解を深めてもらおうと活動します。
しかし高度経済成長の時期にあった日本は、経済優先で福祉に対する意識は低く、動きは鈍かったのです。

資金も底をつきかけた1970年(昭和45年)、大阪府立盲学校の教職員が旧国鉄阪和線「我孫子町」駅への点字ブロック設置を要望したことから、駅に初めて点字ブロックが設置されることになりました。
また、東京都道路局安全施設課から高田馬場一帯に設置したいとの相談が寄せられます。高田馬場付近には、日本盲人センターや日本点字図書館などがあり「交通安全モデル地区」とするプロジェクトを東京都が立ち上げた立ち上げたのです。
この東京都のプロジェクトをきっかけに、点字ブロック設置の動きが地方都市にも広がっていくこととなりました。当初は灰色だった点字ブロックも、弱視の人にも分かりやすいようにと黄色となり、また1枚のブロックに6×6=36個の丸い突起という形に改良されていきました。

さらに1973(昭和48)には、建設省(当時)から盲人誘導シズテムの研究の協力についても依頼されることになり、これを機に任意団体としての「安全交通試験研究センター」から「財団法人安全交通試験研究センター」となっています。1974年(昭和49年)には、新しく4本の線状突起のが並んだ進行方向を示すブロックを作り
「誘導ブロック(線状ブロック)」とし、これまでの丸い突起が並んだブロックを「警告ブロック(点状ブロック)」としました。

点字ブロックはその後も改良され、2001年(平成13年)に日本工業規格(JIS)によって現在の形になっており、 精一の没後に兄の意思を継いだ三郎も日本工業規格(JIS)の監修に委員として参加しています。
今でも点字ブロックと呼ばれていますが、1993年(平成5年)に正式名称が「視覚障害者誘導用ブロック」となりました。日本工業規格(JIS)に基づいて、世界の点字ブロックの国際規格は2012年(平成24年)に定められ、現在では世界各地でブロックの設置が進んでいます。

視覚障害者誘導用ブロック(点字ブロック)の発祥の地マップ

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