【東京都】ラジオ体操の発祥の地と誕生秘話

  

日本発祥のもの

ラジオ体操

発祥の地

東京

発祥期

昭和3年

考案者

猪熊貞治
進藤誠一

ラジオ体操の起源

「ラジオ体操」の起源は、逓信省簡易保険局が制定した「国民保健体操」にまで遡ります。昭和の初期当時は、産業界の不況や労働条件の劣悪な環境、人口の都市集中化などの上、国民の栄養不良による健康状態や疾病と暗い世相の状況下。ラジオ体操は「国民保健体操」の名称で、国民の健康保持増進を目的として考案されました。

✶逓信省(ていしんしょう)は、日本に存在した郵便、通信、運輸を管轄する中央官庁。

✶簡易保険局は、日本政府・日本郵政公社が行っていた生命保険事業。正式名称は「簡易生命保険」で「かんぽ生命」の前身。

逓信省が国営の簡易保険事業(916年/大正5年)を始めました。逓信省簡易保険局監督課長の猪熊貞治が、保険事業調査のために派遣(大正12年)された欧米の保険会社が、ラジオで体操を流すという画期的な試みに感心させられます。

1925年、アメリカの生命保険会社が保険加入者の健康増進 ・死亡率低下を目的として、健康体操をラジオで放送。同年、逓信省簡易保険局の進藤誠一氏が保険事業の視察でアメリカに派遣されました

アメリカでの見聞から猪熊氏が「放送無線による保険事業宣伝」、進藤氏が「健康体操放送を開始せよ」と題する論文を『逓信協会雑誌』に発表。ラジオ体操は、猪熊氏と進藤氏が日本にも導入しようと推進したのがきっかけです。

その結果、国民の体力向上と健康の保持や増進を目的とした「老若男女を問わずできる」「誰にでも平易にできる」「内でも外でも、いかなる場所でもできる」一般向けの体操として、簡易保険局の会議でラジオ体操実施(1927年/昭和2年)が決定されました。     

天皇陛下ご即位の大礼(1928年/昭和3年)を記念する行事として、ラジオ体操が企画されました。簡易保険局が中心になり、中央放送局(NHK)や文部省等の協力のもと、ラジオ体操の運動と伴奏曲が披露されて、旧ラジオ体操第1が制定しました。呼称は国民健康体操です。

1928年11月に東京中央放送局(現NHK東京)で、健康保持増進を目的としたラジオ体操を朝7時から放送開始。当時、ラジオを通して威勢のいい独特の号令をかけたのは、元陸軍士官だったNHKの江木理一アナウンサーでした。

翌年、ラジオ体操は全国放送となります。ラジオの普及とともに音楽に合わせて手軽に体操が楽しめるラジオ体操は好評で、「ラジオでは振り付けが伝わらない」という問題はありましたが、全国に普及します。1932年に「ラジオ体操第2」の放送が始まると同時に「夏休み全国ラジオ体操の会」も開始されました。

テレビやネットがない時代、ラジオ体操の正しい振り付けを伝えるために、郵便局員が正しい動きをマスターし、手紙を届ける時にラジオ体操を教えて人々に広めたそうです。

1939年(昭和14年)には「ラジオ体操第3」が制定され、ラジオ体操の人気が日本人の間に高まりました。しかし終戦となり、全国一斉に実施するラジオ体操が軍国主義的と、連合国最高司令官総司令部(GHQ)から指摘され、1946年(昭和21年)に放送を中止。

多くの国民の要望でラジオ体操の放送が1951年(昭和26年)開始。新ラジオ体操がNHKから全国放送され、大きな反響を呼び全国に普及したそうです。翌年には、第2体操が作成され第1体操とともに全国放送されました。これは現在の「ラジオ体操第1・第2」です。

戦前・戦中に頻繁に変わったラジオ体操の伴奏曲は、資料が完璧に揃っていませんが、「ラジオ体操の歌(朝風そよそよ…)」が最も知られています。「腕を前から上げて、背伸びの運動からぁ」と、聞き覚えがあるラジオ体操を作ったのは、遠山喜一郎(とおやま・きいちろう)で、戦後のラジオ体操再改訂版(現在のラジオ体操)を作成した人物です。
ラジオ体操の発祥地と言われている場所は、3カ所あります。文京区にある区立大塚公園、足立区にある千住本氷川神社、秋葉原にある佐久間公園です。各々の場所にはラジオ体操発祥地の銅像や石碑が設置されています。

ラジオ体操の発祥の地マップ

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