【大阪府】インスタントラーメンの発祥の地と誕生秘話

日本発祥のもの

インスタントラーメン

発祥の地

大阪府池田市

発祥期

1958年(昭和33年

考案者

安藤百福

インスタントラーメンの起源

インスタントラーメンは、サンシー殖産株式会社(現在の日清食品)を経営していた安藤百福が、1958年(昭和33年)に自宅裏庭の小屋でチキンラーメンを作ったのがはじまりです。

安藤は紡績事業や炭焼き事業など戦前から多くの事業を手掛けていましたが、嫌疑をかけられたりなどで手掛けた事業を整理しており、1957年(昭和32年)には全財産を失うことになってしまいます。
その時、戦後の大阪駅近くで、寒い中ラーメンを食べるために長い行列が出来ていたのを思い出します。
戦後の食糧難を経験した安藤は「やっぱり食が大事。食がなければ、衣も住も、芸術も文化もあったものではない」と考えていたこともあり、「失ったのは財産だけではないか。その分だけ経験が血や肉となって身についた」と奮起し、お湯があればすぐに食べられるラーメンを作り、食で社会に貢献しようと考えます。

作るラーメンは、おいしくて飽きがこない、保存性がある、調理に手間がかからない、安価である、安全で衛生的である、という5要件を満たすものと決め、唯一残った自宅の裏庭に建てた小屋で、身近な道具を使い、寝る間を惜しんでの開発を続けます。
全くの素人でしたが、配合を微調整しながら麺づくりから始めました。
やっと納得のいく麺が完成したら、長期保存のために乾燥させることと、お湯を注ぐだけで食べられることとをどのように両立させるのか、という新たな難題が立ちはだかります。解決のヒントは、天ぷらでした。
小麦粉の衣が、油の中で泡を立てながら水分をはじき出しているのを応用したのです。

そうして完成した世界初のインスタントラーメンは、鶏ガラベースだったことからチキンラーメンという商品名で1958年(昭和33年)に発売されました。
発売時の値段は1食35円で、うどん1玉6円、乾麺25円に比べると割高であったため、問屋には本当に売れるのかと渋られたといわれています。
試食販売会を開催すると、お湯を注いで待つだけで食べられる「魔法のラーメン」と大評判になりました。
高度成長期で共働きや核家族が増えてきた頃でもあり、忙しい人々に歓迎され、翌年には品不足になってしまうほどの爆発的なヒットとなったのです。

その後も改良・開発が続きますが、安藤が海外にセールスに行った際、どんぶりの代わりに紙コップにチキンラーメンを割り入れてフォークで食べているのを見たことからカップラーメンが開発がはじまり、1971年(昭和46年)には「カップヌードル」が発売されています。
このカップラーメンも世界初です。

現在では多くのメーカーから、ラーメンだけでなくやきそば、タンメン、ワンタン、和風めんなどが発売されており、ノンフライめんを使用したもの、スープが別に付いているもの、スープが液状のもの、味についてもしょうゆ、塩、みそ、とんこつなどに増え、有名店とのコラボ商品、ご当地ものなど袋麺・カップ麺ともに多様化しています。環境への配慮から紙製のカップを使用したり、健康に配慮して食物繊維にこだわったものや、三大栄養素のバランスを調整したもの、塩分をカットしたものなども発売されています。2005年(平成17年)には宇宙食にもなっているのです。

チキンラーメンが発売され品薄になるほどヒットしたことから、多くのメーカーが参入し、一時は模倣品や粗悪品も出回りました。
そうしたことから、安全な製品を安定供給できるよう業界団体の設立や、現在では当たり前となった製造年月日の記載、成分表示や製造基準などの規格化で食の信頼を損なわない業界の在り方にも取り組まれました。
ストックしておけば非常食にもなり、忙しいときには気軽に食べられるインスタントラーメンは、今や食を支えるために欠かせないものとなっています。
インスタントラーメンは世界に広がり、特にアジアでは国ごとの食材や味付けを工夫したものが発売されており人気となっています。

インスタントラーメンの発祥の地マップ

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