【宮崎県】しめ縄の発祥の地と誕生秘話

日本発祥のもの

しめ縄

発祥の地

宮崎県西臼杵郡高千穂町岩戸 天岩戸神社

しめ縄の起源

しめ縄は、古事記や日本書紀の天岩戸神話からはじまります。天岩戸と呼ばれる洞窟に太陽神である天照大神が閉じこもり、世の中が真っ暗になってしまいました。
困った神々が手を尽くし天照大神がやっと天岩戸から出て世の中に光が戻ります。
この時、再び天岩戸に天照大神が閉じこもることがないようにと、岩戸の入り口に縄を張ったのがしめ縄のはじまりといわれています。

この縄は『古事記』に「尻久米縄(しめくりなわ・しりくめなわ)」とあり、「尻」は端を意味し、「くめ」は出すという意味です。藁を編んだ端をくめ置いて垂らした縄でした。
しめ縄は「注連縄」「七五三縄」「標縄」とも表記します。
「注連」は古代中国で、死者を家から送り出した後、死者の魂が家に再び戻ることがないようにと、家の入口に縄を張る風習です。
縄の様子がしめ縄と似ていることから、字を当ててしめ縄を「注連縄」と表記するようになったといわれています。
「七五三縄」は、しめ縄に藁束を垂らす場合には、七本・五本・三本を三か所に垂らすことから七五三縄と表記するようになりました。
「標縄」は『万葉集』の中では、神聖な場である皇室の「標野」に立ち入りを禁じる縄として標縄という表記が使われています。
また、神聖な場所という意味では、表記で「占め縄」はありませんが、神道で「しめ」は「占め(しめ)」の意味があり、神聖なものがその場所を占めているという意味を表します。

しめ縄の形も、編んだままもあれば、藁束を垂らしたもの、紙垂と呼ばれる稲妻の形をした紙を垂らしたもの、札のついたものなど様々あります。
また蛇の形のしめ縄を飾る神社も多くあり、蛇が絡み合って交尾をする様子を表したものであるとされます。
脱皮を繰り返し再生する強い生命力を持つ蛇は、古来より畏敬の念を込めた信仰対象であり、強さの象徴でもありました。
蛇の形を模すことでしめ縄がより効力を発揮すると考えられたのか、諸説あり明確なことはわかっていません。

しめ縄は蘇民将来とも関連が深いといわれています。兄で貧しい蘇民将来と、弟で裕福な巨旦将来のもとに須佐雄神(すさのおのかみ)が一晩泊めてほしいと頼みます。
裕福な弟は断りますが、貧乏な兄はつつましくも丁寧にもてなします。
お礼に、茅で作った縄を輪にして腰につけておくと病にならずにすむと伝えました。
後に病気が流行したとき蘇民一家は茅の輪のおかげで助かり繫栄したといわれ、「蘇民将来之子孫也」と書いた札を家に貼ったり、「蘇民将来之子孫家門」と書いた木札をしめ縄につけて玄関に飾る地域もあります。
また「大祓(おおはらえ)」の儀式である茅の輪くぐりは、鳥居や笹を立てしめ縄を張った結界内に建てられた大きな茅の輪を八の字を描いて3度くぐることで、病と穢れを落とすことができるとするものです。
しめ縄は表記が複数あり、大きさ・形態も様々で、材料も藁・茅・麻などあります。
しかし、総じてしめ縄は神聖なものと俗とを分ける結界であり、厄を払う結界でもあります。
神棚にしめ縄を張りますが、地域で神聖なものが宿ると考えられている巨岩や巨木、滝などにも、不浄なものがはいらないようしめ縄を張って大事にされています。
正月に玄関に飾るしめ縄は、家に年神様をお迎えするため、結界を作り家を神聖な場所とするために飾るものです。
そのしめ縄に子孫繁栄を願うゆずり葉、清廉さを表す裏白、邪悪なものを追い払う紙垂(しで)などの縁起物の飾りをつけたものがしめ飾りです。
人々が大切に思う特別なものが、なくなったり壊れたりしないようにと守る気持ちの表れが、しめ縄を張るということでもあります。

しめ縄の発祥の地マップ

おすすめの記事