日本発祥のもの
中華料理店の回転テーブル
発祥の地
東京都目黒区 目黒雅叙園
発祥期
1932年(昭和7年)
考案者
目黒雅叙園創業者 細川力蔵
中華料理店の回転テーブルの起源
中華料理店の回転テーブルは、1932年(昭和7年)に目黒雅叙園で使われたのがはじまりといわれています。
中華料理といえば大皿で提供され、小皿に取り分けていただきます。
中華料理店は当時の日本では敷居が高く、取り分けをスタッフにお願いすると心付けも必要でした。
マナーやふるまいに慣れない一般の人々には中華料理店には入りづらかったのです。
一般の人も家族連れで気軽に入れる料亭として目黒雅叙園を開業した細川力蔵は、小皿に取り分ける際に、スタッフにお願いしなくても自分で取り分けることができるといいのではないかと考えました。
しかしそうすると、取り分けるたびに立ち上がり移動するので手間がかかってしまいます。
そこで、座ったまま料理を小皿に取ることができて次の人に譲ることができるようにと、開業翌年の1932年(昭和7年)に頼んで作らせたのが回転テーブルでした。
その時の回転テーブルは、日本で現存する最古の回転テーブルとして現在でも目黒雅叙園で見ることができます。
料理はもちろんのことですが、目でも楽しめるといわれる雅叙園らしく、螺鈿細工を施したとても美しい回転テーブルです。
その後、中華料理店では回転テーブルが広まっていき、さらには雅叙園で回転テーブルを見た中国人が本国で普及させたともいわれています。
回転式のテーブルそのものは、1900年代(明治30年代)のアメリカの家具として存在しています。
当時のディナーでの配膳が、オードブルのように大皿に盛った料理を各自の皿に取り分けるフランス式と呼ばれる配膳方法だったため、反対側も取り分けやすいようにと回転テーブルが使われていたようです。
その後は一品ずつ皿に盛りつけるロシア式と呼ばれる配膳に変わっていったことから、回転テーブルも使われなくなりました。
英語圏では回転テーブルは「Lazy Susan(レイジースーザン)」と呼ばれており、発祥は詳しくわかっていません。
日本では目黒雅叙園が誕生した1931年(昭和6年)に、東京三越デパートで回転テーブルが発売されています。
浅草の洋食店「喜多八」の主人である大石辰五郎が、アメリカのテーブルを座敷で使えるように開発したもので、「大石式和式洋式開化食卓」とされました。
細川力蔵が大石辰五郎の回転テーブルの存在を知っていたのかはわかっていません。
しかし、おもてなしの気持ちからはじまった回転テーブルは、中華料理といえば回転テーブルといわれるほど馴染み深いものとなっており、日本だけではなく本場の中国をはじめ世界の中華料理店で見られる光景となっています。