【東京都】鯛焼きの発祥の地と誕生秘話

日本発祥のもの

鯛焼き

発祥の地

東京麻布十番の浪花家

発祥期

1909年(明治42年)

考案者

神戸清次郎

鯛焼きの起源

鯛焼きは1909年に東京の麻布十番にある浪花家の初代(神戸清次郎)が考案したもののようです。

元々は今川焼きから派生したものだと言われており、明治時代に考案されました。
大阪から東京に出てきた神戸清次郎さんは、浪花屋という食堂を九段と日本橋で始めました。
もともと焼きそばなどの軽食がメインで「鯛焼き」はデザートの一つだったそうです。
デザートとして今川焼きを始めたが一向に売れず、カメの形の「カメ焼き」や飛行船型の「ツェッペリン焼き」などを作っていたが全て失敗したそうです。
ところがメデタイの鯛の姿にしたところ、縁起物でもあったことから芝の金助町(金杉)あたりでリヤカーを引いて売りに出すと飛ぶように売れたようです。
当時、本物の鯛は庶民の口になかなか入らない高級品であったためそれを模したことと、まだ暖房が普及していなかったので、冬場は子供や女性はもちろん、屋外で働く労働者にも人気が高く「温かいおやつ」ということがとてもウケたことが人気になり広まった理由としているそうです。

浪花家の鯛焼きはあんこが命だそうで北海道十勝産の小豆のみを使用し、8時間かけて煮込んでおく。
生地には余計な味付けは一切せず、小麦粉を水で溶かすだけで、なるべく薄く焼き上げて「和菓子のきんつばのように」仕上げるそうです。
浪花家では一匹ずつ焼き上げる型(一丁焼き)で焼き上げる。
手間がかかり2キログラムを超える鋳物の焼き型を一つずつ返すために体力も必要なため一丁焼き型の使用は減少を続けているそうですが、伝統的な焼き方と味に(高温で焼くために皮がカリッとしている)こだわりを持って作っているのが元祖たいやきと言われる浪花家です。

一般的な鯛焼きの作り方はシンプルで、小麦粉・砂糖・重曹で作った生地を型に流しいれて粒あんやこしあんを挟むだけ。
和菓子の中でも特に身近な存在です。駅前や商店街、コンビニにまで店頭に並べられており、型に入れて焼くところを見物できる店も多くあります。
値段も100円から200円ほどで、とてもリーズナブルです。
最近ではカスタードやチョコレート、黒ゴマやクリームチーズなどが中に入っており、チーズやトマトソース、カレーなどが入っている「おかず鯛焼き」も販売されており、生地もクロワッサンやパリパリのパイ生地、タピオカ粉を使ったもちもちの「白い鯛焼き」といった変わり種も増えてきており、時代とともに変化しています。

現在でも頭から食べるのか尻尾から食べるのか、こしあんか粒あんかなどで論争していたり、とても馴染み深く私たちの「おやつ」として浸透しています。

鯛焼きの発祥地マップ

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