【奈良県】相撲の発祥の地と誕生秘話

日本発祥のもの

相撲

発祥の地

奈良県香芝市磯壁・良福寺あたり

発祥期

紀元前23年(垂仁天皇7年)

考案者

垂仁天皇

相撲の起源

相撲は、紀元前23年(垂仁天皇7年)7月7日、現在の奈良県香芝市磯壁・良福寺あたりで、大和国の當麻蹶速(たいまのけはや)と出雲国の野見宿禰(のみのすくね)が垂仁天皇の前で力くらべをしたことが始まりと言われています。

當麻蹶速(たいまのけはや)は力自慢で、命がけで力比べしたいものだと豪語していました。
野見宿禰(のみのすくね)も力が強いと評判だったことから、二人に力くらべをさせることになったのです。

現在の相撲とは異なり、キックもパンチもありの取っ組み合いだったようで、蹶速は腰の骨を折られて死んでしまいます。
二人が力くらべをした地を、腰を折られたから「腰折田」と呼び、江戸時代の地誌『大和志』に「腰折田は良福寺にあり」とあることから、現在の奈良県香芝市磯壁・良福寺あたりが腰折田だったと考えられています。

相撲は力自慢の力くらべから次第に祭りの儀式となっていきます。
地面を大きく踏みしめることは地の邪気を払い清め豊作を祈願することでもありました。
四股(しこ)を踏んで邪気を払い、神様の前で相撲をとることで豊作を占っていたのです。
奈良時代の聖武天皇の時代になると、7月7日に行われる相撲節会(すまひのせちえ)という宮中行事にもなりました。
五穀豊穣や無病息災を祈願するもので、キックやパンチは禁止といった相撲のルールはこの頃にできたと言われています。この宮中行事はその後約300年続いたようです。

武士の時代である鎌倉時代になると、武士が身体の鍛錬や戦闘訓練のために相撲をとるようになります。
戦国時代の織田信長の相撲好きは有名で、各地から力自慢を集めては相撲をとらせ、勝ちあがった者を家臣として迎えていました。

また、身体の鍛錬や戦闘訓練のためであった相撲も、次第に娯楽としての要素を持つようになっていきます。
寺社建立などの費用捻出のために催される勧進相撲(かんじんずもう)が戦国時代から少しずつ見られるようになりました。
江戸時代になると、相撲を職業とする人々が現れて勧進相撲が盛んに興行され、江戸時代中期には芸能として定期的に相撲が興行がされるようになりました。
谷風、小野川、雷電といった名力士も誕生するなど相撲は歌舞伎と並んで一般庶民の娯楽として定着していたのです。現在の大相撲の基礎はこの時代に確立されました。
明治時代になると、裸で行う相撲は野蛮だと敬遠されますが、根強い相撲ファンの存在と明治天皇の後押しもあり、明治末期に国技館建設に至ります。
人間の闘争本能の表れである力くらべから始まった相撲は、なんでもありの取っ組み合いのようなものから次第にルールが厳密になり、洗練されていきました。
現在では、こども相撲大会が開催されるなど身近なものとなっています。
特に大相撲は、力士のまげ、着物や化粧まわし、所作などの相撲の伝統的な様式美を楽しみながら、勝ち方・負け方の美しさにもこだわった勝負を堪能できると不動の人気を誇っています。

相撲の発祥の地マップ

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