【岡山県】カラオケボックスの発祥の地と誕生秘話

日本発祥のもの

カラオケボックス

発祥の地

岡山県都窪郡早島または町岡山県岡山市

発祥期

1985年(昭和60年)

考案者

佐藤洋一

カラオケボックスの起源

カラオケボックスは、1985年(昭和60年)に岡山県で「イエローBOXカラオケ広場」が誕生したのがはじまりです。
短期間に複数出店があったようで記録もなくはっきりしたことはわかっていませんが、最初にできたのは早島店(都窪郡早島町)または1号店(岡山市)のどちらかといわれています。
1号店は名前は1号ですが移転もしているらしく、もともとの出店場所も曖昧です。

カラオケボックスといえば、現在は大きな建物の中に、しっかり防音対策してある個室のイメージですが、当時は物流に使うコンテナを道路沿いに並べたものでした。
この時期、コンテナが現在の国際基準に切り替わる時期で、規格外となる古いコンテナが倉庫などに転用されていました。そうした古いコンテナをカラオケ用の個室としたのです。
イエローBOXではCDのオートチェンジャーを使用しています。
カラオケボックスが登場するまでは、カラオケは飲食店などでサービスとして設置してあるものであり、店員の操作の必要なものでした。

この時期にレーザーディスクやCDのオートチェンジャーが登場したことで、カラオケボックスの普及を後押ししたともいわれています。
店員にお願いしなくても、リモコンを使って自分で選曲できるようになったのです。
飲んだり食べたりの合間に歌うのではなく、歌うことを第一に楽しみたいというニーズにも応えるものでした。朝の人気情報番組に取り上げられたり、サブカルチャーとして雑誌に取り上げられるなどしてさらに人気となり、全国に広がっていくこととなります。
道路沿いにコンテナが並べてあるカラオケボックスは、コンテナの中が外から見えず、密室で犯罪の温床になるといわれた時期もありました。
いろいろな工夫もされるようになりますが、次第に道路沿いのコンテナから、繁華街やビジネス街のビルの中にカラオケボックスが作られるようになります。
1990年代になると通信カラオケが登場します。
新曲もすぐに歌えるとますます人気となり、他業種からの参入も多くありました。
室内には凝った照明が設置されるなどサービスも向上します。
一人でカラオケをする「ヒトカラ」という言葉も登場し、ひたすら歌の練習をしたり、大人数で盛り上がりを気にしながら歌うのではなく自分の好きな曲を自分のペースでを楽しむといった人も出てきました。
カラオケボックスの数は90年代半ばがピークで、競争が激化し業界の再編が進んだといわれています。
同時に介護施設、福祉施設向けにもカラオケの設置が進みます。
カラオケは介護予防になることが学術的にも認められ、福祉や介護分野でも専用コンテンツの開発が進みました。
カラオケは楽しむことに加えて、高齢化社会を支えるものとして介護の予防の役割を期待されているのです。ハイビジョンの大きな画面で臨場感も味わえるようになりました。
タッチパネルで操作もしやすくなっています。
光回線が普及したことで通信環境が向上し、採点やゲーム、SNSと連携して発信することもできるなど、様々な楽しみ方ができるようになりました。
コンテナの再利用からスタートしたカラオケボックスは、現在はカラオケを楽しむ場でもありながらテレワークとして利用されたり英会話スクールの場としてなど、防音効果の高い個室としても利用されています。
海外ではカラオケは「KARAOKE」で通じるようになっており、カラオケボックスも見られるようになりました。
カラオケボックスというよりは、合唱の伴奏装置としてカラオケ装置が利用されている地域もあるようですが、アジア圏では特にカラオケボックスは身近なものとなっているようです。

カラオケボックスの発祥の地マップ

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