※2022年6月24日の総会で1994年の調査の不公正を認め、認定を取り下げて再調査中
日本発祥のもの
ふりかけ
発祥の地
熊本県熊本市
発祥期
1913年(大正2年)
考案者
吉丸末吉
ふりかけの起源
ふりかけは、熊本県の吉丸末吉が1913年(大正2年)にカルシウム不足を補おうと作ったのがはじまりといわれています。
本業が薬剤師だった吉丸は、人々のカルシウム摂取量が慢性的に足りていないことを心配していました。
乾燥させた小魚を骨ごと砕いてごほんにかけて食べることを思いつき、魚が嫌いでも気付かず食べられるように、海苔、ごまを加え、魚の臭いが気にならないように味を調えたのです。
作った当初は近所に配るなどしていたようですが、地元の二葉組という一族会社が「御飯の友」として製造販売をすることになります。
美味しくてカルシウム豊富、身体に良いと評判になり、口コミで広がっていきました。
1934年(昭和9年)には合資会社二葉商事(現株式会社フタバ)が製造販売を引き継いで、今に続く人気商品となっています。
1925年(大正14年)には、福島県で食料品店「丸美屋」を経営していた甲斐清一郎が、クセのない淡白な白身魚の石持(いしもち)を粉末にして昆布の粉と醤油で煮込んで乾燥し、海苔とゴマを混ぜた「是(これ)はうまい」をつくります。
地元で好評で、1927(昭和2)年には東京に丸美屋食料品研究所(現・丸美屋食品工業)を設立し、三越などで扱っていたようです。
広島では、1916年(大正15年)、呉市で味噌や漬物の製造販売をしていた田中保太郎は海軍から「栄養価の高い軽便食品」をつくってほしいと要請され、缶入りの「旅行の友」を作りました。
その後、海軍への納入だけでなく一般向けにも「旅行の友」の販売を始め、1928年(昭和3年)には法人化し広島漬物製造株式会社(現在の田中食品株式会社)となっています。
広島では、田中の他に小松原要助も1928年(昭和3年)に「露営の友」というふりかけを軍に納品していたそうです。
戦争中、兵士の慰問袋にふりかけが入っていたことから軍向けの生産は続いていましたが、戦争末期から数年は物資不足で多くのメーカーが生産も中止に追い込まれていたようです。
戦後、兵士たちが帰還して地元に戻ったことで全国にふりかけが普及したともいわれ、ふりかけの生産の再開やメーカーの参入が多くみられました。
1951(昭和26)には、丸美屋で営業を担当していた阿部末吉が丸美屋食品工業株式会社を創業し「是はうまい」を復活させています。
1960年(昭和35年)にはやや甘めの「のりたま」が発売され、人気アニメのシールがおまけでもらえることもあり子供に大人気となり、戦後広島で創業した三島食品が1970年(昭和45年)に赤しその「ゆかり」を発売するなど、高度経済成長期には食が多様化しふりかけの味の種類も増えていきました。
ふりかけは「御飯の友」「食卓の友」「遠足の友」「露営の友」「旅行の友」といった「○○の友」のような名称が使われていたが、1959年(昭和34年)に全国ふりかけ協会が設立され、ふりかけ食品と定義し、正式名称となっています。
ごはんに振りかけるという意味では花鰹をかけて食べる習慣は戦国時代には存在していたようです。
また、ごま塩を赤飯に添えるのは日本料理の流派のひとつだった大草流において室町時代には見られます。
つくだ煮やでんぶもふりかけの源流といえるかもしれません。
ただ、これらは身近な材料を使って主に家庭で作られるものでした。
現代のふりかけは、カルシウムの摂取量を増やすための栄養補助食品として商品化したのが美味しいと評判になったことからはじまり、今では子供から大人までご飯を美味しく食べられる定番のものから高品質な大人向けまで様々あります。味についても、魚、のり、たまご、しそ、カレー味、すき焼き味、餃子味、タコライス味、やきそば味など種類も豊富です。
ごはんに振りかけて食べるだけでなく、うどん、そば、スパゲティーのトッピング、サラダドレッシングといった調味料のように使うこともできます。
アメリカでは調味料としてポップコーンに混ぜるといった使われ方もしており、日本語そのまま「furikake」と呼ばれています。