【東京都】電気炊飯器の発祥の地と誕生秘話

日本発祥のもの

電気炊飯器

発祥の地

東京都大田区

発祥期

1955年(昭和30年)

考案者

三並義忠

電気炊飯の起源

電気炊飯器は、1955年(昭和30年)に三並義忠が開発し東芝から発売したのがはじまりです。
それまで薪の代わりに電気式のヒーターで過熱する電気釜は、1924年(大正13年)からありましたが、一般家庭で使用するためではなく船舶の中で使用する業務用で手動でした。

株式会社光伸社(現在の株式会社サンコーシヤに吸収合併)を経営していた三並は、1952年(昭和27年)に東京芝浦電気株式会社(現在の東芝)から、自動でご飯を炊くことのできる電気釜の開発を持ちかけられます。
三並は家電製品の開発ノウハウはありませんでしたが、他のメーカーも失敗して難しいと思われていた電気炊飯器の開発に取り組むことになりました。
そして、取り掛かってすぐに大きな問題に直面することになるのです。
まず大きな問題として火加減の調整です。
美味しいごはんが炊ける火加減とはどのような火加減なのかを明らかにする必要がありましたが、火加減の調整は経験に基づいた勘にたよるものだったので、大量の米を買い実験を繰り返しました。
微妙な火加減の調整ではなく強火で一定の時間(約20分)炊きあげることで、米を消化の良いα澱粉化させて美味しいごはんになることを突き止めたのです。

続く問題は、米と水の量、外気温の違いによって沸騰するまでの時間が異なるので、どう自動化するかという点でした。
三並は、水の蒸気をタイマー代わりに使うことを考えます。
釜を二重にし、外側の釜に20分間で蒸発する水の量を入れて、水が蒸発し釜の温度が100度以上に上がったら、バイメタル式のサーモスタットが温度を検知してスイッチを切るという方法です。
熱膨張率が異なる2枚の金属板を貼り合わせたバイメタルの、温度の変化によって曲がり方が変化するという性質を利用してスイッチを切るのですが、ここぞのタイミングを狙うには繊細な調整が必要で、この調整が非常に難しかったのです。
それでも、なんとか二重構造にバイメタルの組み込みを工夫し、実現します。
さらに、外気温が低いと釜の熱が逃げてしまうことから、釜を二重構造から三重構造にすることで四季の外気温の変化に影響されず常に美味しく炊き上げることを実現しました。

自宅や工場を抵当にして融資を受け、家族総出で実験を繰り返してデータを集め、開発を続けること3年、ついに自動式電気炊飯器が完成したのでした。
完成した革新的な電気炊飯器は、大卒社員の初任給が当時1万円の時代に3200円と高価であったことと、あまりに革新的で「本当に炊けるのか」といった心配する声もあったことから、家電販売店は販売に積極的ではありませんでした。
そこで東芝は、全国の農村で実演販売を行うことで商品を知ってもらうことにします。
どんなにベテランでもご飯を炊くためには側でずっとかまどの火に気を配っていなければいけませんでしたが、電気炊飯器は夜寝る前にセットしておけば朝には炊けています。
失敗すると主婦失格といわれた時代に、常においしく炊けるうえに1時間寝坊できるとして爆発的に売れたのです。4年後には日本の家庭の約半数が電気炊飯器を購入したともいわれたほどでした。

その後、他のメーカーも参入し改良され、新機能も追加されていきます。
1972年(昭和47年)には長時間保温できる電子ジャー炊飯器、1979年(昭和54年)には内臓コンピューターで微妙な火加減調整ができる炊飯器、1988年(昭和63年)には鍋自身が発熱して強火で均一に加熱できるIH炊飯器へと進化し、2016年以降は素材や形状、コーティングにこだわった内釜で、高火力実現した高級IH炊飯器主流になっています。
セットするだけで自動で美味しいごはんを食べることができる電気炊飯器は、今では忙しい毎日を健康に過ごすためにもなくてはならない電化製品の一つです。
調理機能付きで炊飯以外の使い方もできる電気炊飯器も発売されており、肉じゃがやカレー、シチューといった煮込み料理、蒸し鶏やシューマイなどの蒸し料理、ローストビーフのような低温調理、さらにはパン、スポンジケーキ、チーズケーキなども作れるまでになりました。
海外で使うことのできる電気炊飯器も販売されており、中国、台湾、アメリカをはじめとして海外でも人気となっています。

電気炊飯器の発祥の地マップ

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