【東京都】バッティングセンターの発祥の地と誕生秘話

日本発祥のもの

バッティングセンター

発祥の地

東京都墨田区江東橋4丁目27-14 楽天地ビル

発祥期

1965年(昭和40年)

考案者

河合和彦

バッティングセンターの起源

バッティングセンターは、阪神タイガースなどにバッティングマシンなどを納入していた神戸のホーマー産業株式会社の河合和彦が、プロ野球や学校に売ろうとしたましたが収益が上がらないため娯楽に活用しようと思いついたのがはじまりです。

河合は当初、名古屋市にある東山動物園などをはじめ各地の娯楽施設に売り込みますが、話を聞いてくれる施設はあまりありませんでした。
話を聞いてくれたのが楽天地ビルのオーナーだったことから、1965年(昭和40年)、楽天地ビルの屋上にバッティングセンターが誕生します。

1965年(昭和40年)は巨人のV9が始まった年です。
当時は娯楽が少なく、見るのも、プレーするのも野球はとても人気がありました。
着替えたり用具を準備する必要がなく、仕事帰りや、仲間で集まった際にも気軽に人気の野球を楽しむことができるとして、バッティングセンターはたちまち人気になります。
楽天地バッティングセンターでは、オープン直後に当時巨人ヘッドコーチだった南村侑広による野球教室が開かれていますが、その時も全員が運動着ではなく私服や学生服で参加している様子が記録に残っています。
テレビでバッティングセンターが紹介されると、全国から5000台もの注文が河合のもとに殺到したともいわれるほどで、一気に全国へ普及していったのです。

1970年代はじめになると新しいスポーツとしてボウリングがブームとなりました。各地にボウリングのための施設が増えていき、バッティングセンターの利用は一時落ち込むことになります。 
しかし1970年代半ばにボウリングブームが終わると、オイルショックで経営が立ち行かなくなったボウリング施設が、設備投資の少なくて済むバッティングセンターを併設したり鞍替えをしたこともあり数が再び増えていきました。
ピーク時には全国で約1500ヶ所ものバッティングセンターがあったといわれています。
ボウリングブームの際にプレイ待ちの人のために喫茶店やゲームも併設していたこともあり、バッティングセンター・ボウリング・レストラン・カラオケボックス、インラインスケート、ゲームセンターなど男女問わず楽しめる複合型として発展していく施設も多くありました。

1993年(平成5年)Jリーグが開幕するとバッティングセンターの利用が一気に減ってしまいますが、1994年(平成6年)イチロー選手の活躍が注目され、イチロー選手が『父親にこどもの頃連れて行かれて、そのおかげでヒットがいっぱい打てるようになったんです』と幼少期にバッティングセンターに通っていたエピソード繰り返し語ったことから、娯楽だとしてだけではなく打撃練習にもなると見直されました。
硬式球が打てたり、打席を貸し切ったりと、打撃練習も十分できるようシフトしているバッティングセンターもあります。

海外では、主にアメリカと韓国でバッティングセンターがみられますが、アメリカはあくまで打撃練習場としてのものであり、対して韓国はカップルや友達同士で気軽に利用できるアミューズメント施設としてのものです。
日本は施設によってどちらにシフトしているかといった違いはありますが、練習に来る人、遊びに来る人、さまざまです。
2014(平成26年)にはタイでも現地の日本人によって現地の日本人向けのバッティングセンターが誕生していますが、日本の野球アニメから興味を持たれ、地元の人も「野球をプレイしてみたい」と利用が増えているそうです。

バッティングセンターの発祥の地マップ

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