【東京都】ビニール傘の発祥の地と誕生秘話

日本発祥のもの

ビニール傘

発祥の地

東京都台東区 寿

発祥期

1958年(昭和33年)

考案者

須藤三男

ビニール傘の起源

ビニール傘は、有限会社武田長五郎商店(現在のホワイトローズ株式会社)の須藤三男が、第二次世界大戦後に進駐軍が利用していた「ビニール」に着目し、傘カバーやビニール傘を作ったのがはじまりです。

1721年(享保6年)から刻みたばこの卸売業を営んでいた武田長五郎商店では、刻みたばこを木箱に保管する際、湿気から守るために、油紙を使用していました。
油紙は紙の表面に薄く油を引いて乾燥させたもので、武田長五郎商店では油紙の防水・耐水性を生かして折りたたみ可能な携帯用レインコートを作り販売するようになります。

戦前には老舗傘問屋となっていた武田長五郎商店ですが、9代目社長の須藤が1949年(昭和24年)にシベリア抑留から帰国した時には、既に復興した同業他社に遅れを取っている状況でした。
そこで須田は、進駐軍が持ち込んだビニール製のテーブルクロスに注目し、ビニールで傘カバーを作ることを思いつきます。
当時の傘は綿で作られており染色技術も未熟だったために色おちしやすく、黒い傘を差せば白いワイシャツに滴が垂れて黒い水玉模様になるのが当たり前だったそう。
傘カバーは1953年(昭和28年)に発売され、高価ではありましたが非常によく売れたそうです。
しかし昭和30年代になると合成樹脂繊維ナイロンが誕生します。色落ちせず、コーティング技術の向上により防水効果も高まったナイロン製の傘が発売されると、傘カバーの需要がなくなってしまいました。

須藤は、完全防水素材と確認・検証・評価されたビニールフィルムを、カバーではなく直接傘骨に張ってしまえばビニール傘は完全に雨が漏らないと考えます。
しかし、ビニールは温度変化の影響を受けやすいうえに、傘の骨につなげるためにはビニールに穴をあけるとそこから切れていってしまうため構造の複雑な傘の縫製は不可能ともいわれていました。
研究を重ね、高周波ウェルダー加工(素材を溶着させる熱処理加工)という生地を接着する技術で縫製することに成功し、温度変化に影響されにくいビニールの配合を三菱化成工業株式会社(現在の三菱ケミカルアグリフォリーム株式会社)と共同開発します。
5年後の1958年(昭和33年)、ついにビニール傘の発売に至るのです。この時のビニール傘は透明ではなく乳白色だったそうです。

完全防水の画期的なビニール傘でしたが、問屋だけでなく、ほとんどの傘小売店・傘売場から扱いを断られてしまいます。
そもそも洋傘は繊維素材のカバーを使用することが伝統であり格式でありました。
「ビニール素材を骨に直接張るなどもってのほか!」「ビニール傘屋ふぜい!」といった反応ばかりで、販売数は伸び悩んだのです。

ところが、アメリカでビニール傘が大ヒットします。きっかけは1964年(昭和39年)の東京オリンピックでした。
アメリカの大手洋傘流通のバイヤーが観光で来日中にビニール傘に目を付けたのです。
ニューヨークの強風でも壊れず、人とぶつかりにくいように鳥かご型で、視界を遮らないように透明なビニールを使用した傘を開発しました。
このニューヨーク仕様の傘はファッションと実用性を兼ね備えていると高く評価されたのです。

国内では上野から銀座界隈の路面店に、ゲリラ的に店頭委託販売の熱烈営業をかけていきました。
テレビで「銀座では中が透ける傘が流行しているらしい」と紹介され、一気に認知度が高まります。
印刷するとビビットな色や柄がファッション小物にもなり、透明な傘は逆にどんなファッションにも合わせることができ骨が見えるのもかっこいいと注目されます。
高級布傘と同じぐらい高価格でしたが、国内でもファッションアイテムとして大ヒットしたのです。

多くのメーカーからビニール傘が発売されるようになり、1980年代以降には台湾や中国への技術流出もあり非常に安価なものが流通するようになりました。
現在では急な雨にも買える安価なものから、強風でも壊れないよう作られたものやアウトドア用などの高価なものまであり、場面に応じて使い分けられています。。
ビニール傘を生み出したホワイトローズ社の傘は選挙演説でも使われ、皇室や歴代首相も愛用するほど高い評価を得ています。
また、高周波・超音波ウェルダー加工・縫製加工といったビニール傘の技術は、ホテルのシャワーカーテン、家庭用エプロン、特殊照明用機材などでも活かされているのです。

ビニール傘の発祥の地マップ

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