日本発祥のもの
ソフトテニス
発祥の地
東京都千代田区
発祥期
1884年(明治17年)
考案者
坪井玄道(つぼい げんどう)
ソフトテニスの起源
ソフトテニスは、体育教員の養成機関である体操伝習所(現在の筑波大学体育の源流といわれています)でローンテニスで使うボールが高価なため、1884年(明治17年)に代用品として坪井玄道がゴムボールを使用したことにはじまります。
日本では硬式テニスとも呼ばれるローンテニスは、体操伝習所の教員として1878年(明治11年)アメリカから来日していたジョージ・アダムス・リーランドが日本の学生に紹介しました。
リーランドの通訳を担当していた坪井は、体操技術を正しく通訳するために自身もリーランドの教えを学び、体操教員となり、1881年(明治14年)リーランドが辞任後は中心となって学校体育の礎を築いていくことになります。
日本全体で西洋化が進み始めた時代です。用具も輸入品でとても高級なものでした。
無くしたり痛んだりする消耗品のボールも、高価であるため気軽に買い直すということが難しかったようです。1884年(明治17年)に坪井は、ドイツ製の柔らかいゴムボールで代用することを思いつきます。
ローンテニスの公式ボールに比べると1/6の値段で、手に入りやすかったのです。
1890年(明治23年)には三田土護謨(ゴム)製造という会社にゴムボールの製造を依頼し、国産の「赤Mボール」が誕生しています。
ローンテニスの公式ボールに比べて柔らかかったので、軟式テニスと呼ばれました。坪井のもとで学んだ生徒たちが教師として全国で活躍していくなかで、ソフトテニスも日本発祥のスポーツとして教育現場で取り入れられていくこととなるのです。
1898年(明治31年)には東京高等師範学校(現在の筑波大学)と東京高等商業学校(現在の一橋大学)の対抗戦が行われており、その後、早稲田大学・慶応大学が加わった4校の対抗戦は大変人気だったようです。
1904年(明治37年)には、その4校でソフトテニスのルールが初めて作られました。
ソフトテニスを楽しむ人が増え、1933年(昭和8年)には日本軟式庭球連盟(現在の公益財団法人日本ソフトテニス連盟)が設立され、1974年(昭和49年)には「国際軟式庭球連盟」も設立されています。
そして1992年(平成4年)に、正式名称が軟式庭球からソフトテニスに変更されます。
1994年(平成6年)の広島アジア競技大会では正式競技となり、現在はアジア競技大会、アジア選手権大会、世界選手権大会、東アジア競技大会がソフトテニスの4大国際大会です。
ソフトテニスもローンテニスも、どちらもテニスでよく似ていますが、ソフトテニスのボールは軽いのでラケットも軽く作られており、打った時に回転がかかりやすいという特徴があります。
そのため、ローンテニスとは打ち方も異なります。
コートもサイドラインがサービスラインまでといった違いや、ネットの高さやセンターベルトがないといった違いがあり、ポイントの数え方やゲームセットの条件、サーブの順番なども異なるのです。
実際にプレーしてみると違いに驚くほどで、正しいフォームで打たないとケガに繋がることもあるため注意も必要です。
テニスの公式ボールをゴムのボールで代用したことがきっかけではじまったソフトテニスは、現在でも中学校の部活として多くの学校で採用されています。
独自の改良・発展を経て、今では別のスポーツとして中国をはじめとして海外でも人気スポーツとなっています。