日本発祥のもの
そばめし
発祥の地
神戸市・長田
発祥期
1985年
考案者
「お好み焼き・青森」青森章子
そばめしの起源
神戸市長田にある「お好み焼 青森」が、「そばめし」発祥の店として有名です。「青森」は、1957年(昭和32年)創業、66年以上続くお好み焼き屋で、今は3代目の青森功樹さんが営んでいます。
神戸を代表するご当地B級グルメそばめし。ご飯と麺を一緒にいためる神戸発祥の下町グルメですが、今やその知名度は全国区となり多くのファンの心をとらえています。そんなそばめしは、1985年に神戸長田にあるお好み焼き店・青森に通う客の声から誕生しました。
現在の主人・3代目の青森功樹さんの祖母に当たる青森章子さんが、焼きそばを作っていたところ、客から弁当の冷やご飯を「一緒にいためてくれないか」と頼まれ、時間短縮のためご飯とそばを一緒に鉄板で炒めたことが始まりとされています。
これが常連の裏メニューとなり、後に正式なメニューに定着したそうです。そして、口コミで長田区の他のお好み焼き店でも、そばめしを始める店が出てくるようになり、 さらに神戸の周辺、新開地や三宮付近の店にも広まっていきました。
いつの時代も「元祖論争」はあり、長田発祥のそばめしもそのひとつです。中華麺とご飯をすじこんなどと一緒に熱々の鉄板の上で炒め、香ばしいソースと混ぜ合わせた長田区久保町発祥のソウルフード・そばめし。長田区久保町にある「やよい」は、材料や作り方、見た目がそばめしと全く同じ「グッドライス」を1953年の開店当初から提供していたそうです。
見た目が犬の食べる飯に似ていたので当初は「ドッグライス」と呼んでいましたが、ネーミングが良くないので「ドッグ」をひっくり返して「グッドライス」に改名しました。 どちらが発祥の店なのか現在の情報では確認のしようがありませんが、やよいのグッドライスの方が起源が古く、そばめしという名前でメニュー化したのは長田では青森が最初のようです。
とはいえ、1990年(平成2年)頃は、神戸に住む人ですら、 そばめしを知らない人が多くいました。そばめしが世間に知られるようになったのは、1995年の阪神・淡路大震災がきっかけです。 震災の大きな被害に遭ったそばめし発祥の地・長田区内。震災復興のニュースと共に数か月で営業を再開したお好み焼き屋・そばめしが取り上げられ、注目を浴びました。
それ以後、若者向けの情報誌やグルメ雑誌、 テレビ、新聞など、色々なマスメディアでそばめしが取りあげられるようになり、 神戸下町の味として知名度が全国区になりました。
発祥の店として有名な青森のそばめしは、牛スジから出る脂だけで、強火で炒めるのが特徴。中華麺1玉と茶わん1杯分のご飯、お米のサイズに合わせてテコでそばを刻むのが、パラリと軽やかな食感の秘訣です。「ぼっかけ(牛スジとコンニャクを甘辛くじっくり煮込んだもの)」とキャベツのシンプルな具材もあっさりしていて旨さを引き立てます。
そばめしに欠かせないのは、辛みと濃さの「ソース」。日本で初めてソースが誕生・普及したのは神戸の地と言われ、いくつものソースメーカーがあります。各メーカーが製造・販売しているソースが地元限定の品もあり、神戸のご当地グルメそばめしの普及に貢献したと考えられます。
関西で、ソースを販売している有名なメーカーが、ウスターソースやトンカツソースなどを販売しています。オタフクの「神戸そばめしソース」、オリバーソースの「どろソース」、薔薇のマークの「ばらソース」などが、主にそばめしに使われるソースです。
特に有名なソースは、神戸に本社を置くオリバーソースのどろソースです。どろというのは、泥ではなくドロっとしたという意味のどろ。ウスターソースの製造過程で生成されるどろソースは、原料に使われている野菜や果物などの成分が豊富に含まれています。香辛料の成分もグッと濃縮されているので、ほかのソースよりも濃厚で辛めの味わいです。
オシャレなイメージの神戸の中では下町の雰囲気が残る長田区には、およそ50軒ものお好み焼き店があり、各店が味を競う粉もん激戦区です。ひと口にそばめしといっても、それぞれの店で味付けや中に入れる素材は異なり、独自のこだわりがあります。
「発祥の店ということに強いこだわりはない。昔から変わらない味を提供し、お客さんが喜び、地域がにぎわうなら作り続けたい」と話す青森氏。半世紀以上前から変わらない素朴な味のそばめしは、これからも神戸だけでなく日本人の味として食されていきます。