日本発祥のもの
剣道
発祥の地
茨城県鹿島市
発祥期
1711年〜1715年の間
考案者
長沼四郎左衛門国郷
剣道の起源
剣道は長沼四郎左衛門国郷が身を守る道具を用いて竹刀で打突し合う「打込み稽古法」を普及させたことが始まりと言われています。
剣道の竹刀は元々平安時代に登場した日本刀のことです。
いわゆる「反り」と「鎬」を持ち、片刃の形状になっている日本独自の刀が登場したことで、それ以降は長らく戦いの主な武器として使われるようになりました。
その一方で武士の精神的象徴としての性質も持つようになり、強さや美しさを表す美術品として扱われるようになりました。
明治時代に入り、「明治維新」により、武士は職を失ってしまいます。
そこで榊原鍵吉さんが、明治6年に剣術の試合を見世物として披露し、収入を得る「撃剣興行」を開始し、人気となりました。
明治9年には廃刀令が公布され、武士の帯刀が禁止されてしまい、武家出身者は戦闘や剣術が必要とされる警察に奉職する人が多くいました。
それに伴い、西南戦争では、警視庁の抜刀隊が数多く従軍し、戦地で大きな功績をあげました。
これにより剣術の価値が見直され、警察において剣術の訓練を奨励することになりました。
そして、大正元年(1912年)に剣道という言葉が使われたといわれています。
「大日本帝国剣道形(のちに「日本剣道形」となる)」が制定され、流派を統合することにより日本刀による技と心を後世に継承すると共に、竹刀打ち剣道の普及による手の内の乱れや、刃筋を無視した打突を正しました。
竹刀はあくまでも日本刀のかわりであるという考え方が生まれ、大正8年に西久保弘道さんは「武」本来の目的に適合した武術や武芸を「武道」に、剣術や撃剣を「剣道」という名称に統一しました。
第二次世界大戦後、剣道の組織的な活動を禁止され、昭和25年からの数年間はスポーツであることを前面に出し、洋服を着て竹刀で打ち合う「撓競技(しないきょうぎ)」として存続していました。
昭和27年に日本が独立を回復し、「全日本剣道連盟」が結成され剣道が復活し、精神を鍛えるという目的が教育の一環として見直され、授業などに取り入れられました。
長い歴史の中で、武術は「相手を倒す戦闘技術」から「自らの心身を鍛えるもの」へと変わっていき、現代でも受け継がれています。