【大阪府】カプセルホテルの発祥の地と誕生秘話

日本発祥のもの

カプセルホテル

発祥の地

大阪府大阪市梅田

発祥期

1979年(昭和54年)

考案者

中野幸雄 
福西利文

カプセルホテルの起源

カプセルホテルは、ニュージャパン観光の中野幸雄が、1979年(昭和54年)に「カプセルホテル・イン大阪」をオープンさせたのがはじまりです。

中野はサウナを経営していましたが、1970年(昭和45年)日本万国博覧会(大阪万博)での建築家の黒川紀章の「カプセル住宅」から着想を得て、当時より普及していた寝台車両の宿泊空間を参考に、大浴場横のスペースでごろ寝していたサウナ客のためにもっと快適な睡眠環境を安価で提供したいと黒川に電話をして設計を依頼します。

大阪万博では、シンボル「太陽の塔」を取り囲むような丹下健三研究室が設計した大屋根に、宙づりに展示された宇宙ステーションのような黒川の「空中テーマ館 住宅カプセル」。
中央の居間からハッチを通り、個室である「ベッドカプセル」「浴室便所カプセル」へ行くといった作りでした。
家族の形態に合わせてカプセルを増減させていくことができるのです。
そして、大阪万博で「太陽の塔」の顔や椅子などをFRP(繊維強化プラスチック)で製作していた株式会社コトブキから、社員だった福西利文が協力することになります。

完成したカプセルホテルは、カプセル型のベッドの中に最低限必要な機能がコンパクトに備えられていました。
開業直後に国鉄と私鉄のゼネラル・ストライキがあり満室となったそうです。
高度経済成長期でもあり、夜遅くまで働き繁華街で飲んだサラリーマンが、終電に乗り遅れた時に安く快適に利用できるとカプセルホテルを重宝しました。
24時間体制の職場では仮眠室にも採用されるようになり、法律的に一般のホテルよりも営業許可を取りやすかったことから多くの企業参入し、カプセルホテルは増えていったのです。

バブル崩壊でカプセルホテルは低迷しますが、2000年代になると外国人宿泊客に人気となります。
サラリーマンの酔客が低価格で利用するといったイメージが先行していたカピセルホテルですが、現在ではお洒落でWi-Fi完備の機能的な宿泊先といったイメージに変わり、国内の若者にも人気となっています。
旅館業法によって家具に当たるカプセルベッドは施錠できませんが、男性客と女性客のフロアを分けたり、女性専用の建物にしたり、荷物を預けるロッカーなどの配慮もあり安心して利用することができます。
トイレとシャワーは共用でも、カフェやラウンジを備えていたり、書店のように本棚がありゆったり読書体験ができたり、VR体験ができたり、さらにはスタイリッシュで宇宙船のような個性的な進化系カプセルホテルなども登場しており、好みに合わせて選ぶこともできます。
日本近海で運航しているフェリーでも2010年代に入りカプセルホテルと同じ寝台を備えたものが増えており、英国やイタリアでは空港内にもカプセルホテルが登場しています。

黒川に学んだ鈴木敏彦は、「ダンボールシェルター」を制作し、2011年の東日本大震災から継続的に被災地への提供を行っています。2020年(令和2年)にはコトブキシーティングの依頼を受けて避難所の三密解消のためダンボールを用いたスリープカプセルのデザインをしています。
黒木の建築思想「メタボリズム」(新陳代謝の意味)は、ホテルや災害用としては活かされているのです。
当初のカプセルホテルはリサイクルが難しいものでしたが、その後はデザインや素材など改良が進められ、環境にやさしく、組み立て式になり、より安全に、より快適なものとなっています。
今後も生活様式の変化に対応した様々なカプセルの誕生が期待できます。

カプセルホテルの発祥の地マップ

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