日本発祥のもの
かまぼこ・ちくわ
発祥の地
兵庫県神戸市中央区 生田神社
発祥期
201年(神功元年)
考案者
神功皇后
かまぼこ・ちくわの起源
かまぼこ・ちくわは、神功皇后が201年に生田の森で魚のすり身を槍の鉾先につけて焼いたのが始まりと言われています。
ただ、書物などの記録はなく、鉾ではなく蒲(ガマ)の穂先に付けて焼いたという説や、「蒲の穂」「蒲の穂子」から「蒲穂子」となり、蒲の穂は鉾みたいだから「蒲鉾」と書くようになったとの説もあります。
記録としては、宮中の儀式や行事の調度について記した平安時代の書物『類聚雑要抄(るいじゅうぞうようしょう)』にはじめてかまぼこが登場します。
1115年(永久3年)関白右大臣藤原忠実の転居祝いがあり、料理献立について挿絵とともに「蒲鉾」と記載されているのです。挿絵では串を刺してあり現在のちくわのように見えます。
この時代のかまぼこは貴族の食べ物でした。
安土桃山時代になると、板付きのかまぼこが登場します。
板が余分な水分を吸収し腐敗防止効果があり、また、持ち運びにも都合が良かったようです。
かまぼこは貴族だけでなく武士のあいだにも広まっており、豊臣秀吉や、秀吉の三男の豊臣秀頼はかまぼこが好物だったと言われています。
かまぼこは貴族から武士へ、そして次第に庶民にも広まっていきますが、高価な白身魚を使ったかまぼこは祝いの席で特別に食べる贅沢品であったようです。
江戸時代末期になると、蒸しかまぼこが登場します。
蒸しかまぼこは効率良く大量に作ることができるため、かまぼこを売る店も誕生するなど一気に庶民に身近なものとなったのです。
蒸しかまぼこは現在でもポピュラーなかまぼこであり、機械化や包装技術の向上などもありますが基本的な製造技術はこの頃にほぼ確立されています。
板付きのかまぼこが庶民に広まっていくにつれて、板付きのかまぼこと筒状のかまぼことで区別して呼ばれるようになりました。
板付きのかまぼこは「かまぼこ」、筒状のかまぼこは「竹輪(ちくわ)かまぼこ」から「ちくわ」となったと言われており、『近世事物考』(1848年刊)には「後に板に付けたるができてより、まぎらわしきにより元のかまぼこは竹輪と名付けたり」とあります。
かまぼこは、現在は主に海水魚で作られますが、もともとは淡水魚で作られていました。
室町時代中期『宗五大草紙』(1528年)に「かまぼこはなまず本也。
蒲のほをにせたる物なり」とあり淡水魚のナマズを使用ことがわかります。
現在は日本各地に土地ならではの名産品として様々なかまぼこがあり、原料にその土地ならではの魚を使うだけではなく、焼いたもの、蒸したもの、ゆでたもの、揚げたものなど種類も豊富です。
また現在でも正月のお節料理には欠かせないものであり、縁起物として鯛や水引の形をした細工かまぼこが結婚式で出される地域もあるなど、とても身近な食べ物となっています。