日本発祥のもの
醤油
発祥の地
和歌山県有田郡湯浅町
発祥期
鎌倉時代
考案者
覚心(かくしん)
醤油の起源
醤油は、味噌を作る時の偶然からできたと言われています。
鎌倉時代に、現在の和歌山県にある興国寺の僧覚心が中国で覚えてきた径山寺味噌(きんざんじみそ)の作り方を村人に教えていましたが、仕込みを間違えてしまいます。
そのときにできた味噌のたまり液を使って煮ものを作ってみたら、とても美味しかった!この「たまり」が醤油のはじまりとされています。
径山寺味噌(きんざんじみそ)とは、茄子や生姜などの野菜の細切れや、しその実などを漬け込んだなめ味噌の一種です。
鎌倉時代といえば争乱の時代です。兵糧としても持ち運びしやすい固形の味噌が一般的に用いられていたようで、液状の醤油がすぐに広まることはありませんでした。
製法は文献などには残されておらず、口伝で受け継がれていったようです。醤油づくりに欠かせない水に恵まれた周辺地域で受け継がれていきました。
自家用として作られていた醤油ですが、室町時代も終わり頃になって商用として大阪に出荷されるようになると「醤油」という名前が広く知られるようになり、当時の日常用語集『易林本節用集』にも「醤油」が登場します。そうは言っても、庶民にとっては手を出せない高級品だったようです。
江戸時代に入ると薄口しょうゆも作られるようになります。
醤油は徳川御三家の一つである紀州藩の保護を受け、さらに量産化され始めました。和歌山県の湯浅広港には多くの醤油醸造所が軒を連ね、開運を利用して大阪方面だけでなく江戸にも大量に運ばれ、いわゆる下り醤油として広く普及します。
当時、湯浅に醤油屋が90軒以上もあったと伝えられており、当時を思わせる町家や土蔵が残る街並みから当時の勢いを感じられます。
江戸が整備・発展していくにつれて、上方からの輸送に頼っていた様々なものが関東でも生産されるようになります。
関東での醤油の生産は、江戸川や利根川といった水運があり、醤油づくりに気候も適していた現在の千葉県野田市や銚子市で行われるようになりました。
そして江戸の人々の好みに合わせた濃い口しょうゆがつくられるようになると爆発的に広まり、一大産地へと発展していくのです。
蒲焼きやそばといった江戸料理などは、この醤油があってこその味といえます。
明治時代には西洋風のソースなどの調味料が日本に入ってくるようになりますが、醤油は贅沢品とはいえ変わらず人気の調味料でした。
大正時代、第一次世界大戦後の好景気には生産量も増大し、贅沢品だった醤油が一般家庭でも使われる身近な調味料として広く普及していきます。
昭和になると、日本を取り巻く情勢の不安定さから原料不足となり、統制の対象となって配給規制を受けるようになります。生産量も落ち込んでしまいました。
しかし第二次世界大戦後に配給公団が廃止されたことで、再び醤油の生産量も回復していきます。品質もさらに向上し大量に生産されるようになり、現在では世界に輸出され調味料として認知されるようになりました。
味噌のたまり液から始まった醤油は、現在では用途に応じて、濃い口しょうゆ、薄口しょうゆ、たまり醤油幅、が使い分けられています。
濃い口しょうゆが最も一般的に使われており、薄口醤油は素材の色を生かした料理やお吸い物に使われ、関西の料理には欠かせません。
たまり醤油は刺身などのつけ醤油や、照り焼きなどに使われます。他にも甘露醤油(再仕込み醤油)や白醤油などもあり、料理に合わせて細やかに使い分けられています。
2017年(平成29年)には、湯浅町は『「最初の一滴」醤油醸造の発祥の地 紀州湯浅』として日本文化遺産に認定されています。